タイのバンコクからバングラデシュの首都ダッカへ、2時間のフライト。
ダッカは新緑〜初夏の季節。あと1ヶ月ほどで雨季に入る。
到着して、イミグレーションを抜けた所で、お迎えの人が待っていてくれた。
今回の旅は、すべて現地の会社にコーディネートをお願いし、日本語ペラペラのガイド・セデックさんが、ずっと一緒に付いて回ってくれた。
バングラデシュの人は親切だし、基本的には危険じゃ無さそうだけど、でも、やっぱりスラムにはガイドのセデックさんのようなガイドさんと一緒じゃないと、とても入って行けない。
外国人は珍しいから、歩いているだけで、どこに行ってもジロジロ見られるし、写真撮るために立ち止まったり、誰かに話し掛けたりしようものなら、あっという間に黒山の人だかり・・・。
その後も、ゾロゾロみんなで付いてくる。
スラムで100人の人達に取り囲まれたら、普通怖いと感じると思うんだけど、礼儀正しい人が多くて、子供達が私に触ろうとすると、年長の子がやって来て「コラッ!」って叱って守ってくれる。
どこに行っても必ずそういう役割の子がいて、まじめな国民性なんだなと思った。
中には「お金くれなきゃ写真撮っちゃだめ」ていう人も居たけど、カメラを向けた大多数の人達は、ニッコリ笑って何も求めなかった。
デジカメの画面を見せてあげるとすごく喜んで、「私も撮って!」って、何度もせがまれちゃった。
バングラデシュは、人口密度世界一の国。
北海道よりもちょっと広いところに、日本の人口よりも、ちょっと多い人達が住んでいる。
どうりで人が多い。ほんとに人だらけ・・・。
そして車、バス、リキシャ、三輪のベビータクシーも、それぞれだらけで入り乱れて走る。
信号なんか無視。
四方から交差点に入ってクラクションを鳴らしまくり、ちょいちょいっと隙間を見つけては進んでいく。
無茶苦茶だけど、ギリギリで譲り合ったりして、なんとなく流れている。
リキシャ |
ぼろぼろのバスだけど |
ベビータクシー |
「リキシャは」日本の人力車が語源の人力タクシー。
作る職人さんが居るらしいけど、手作りっぽく、まるでブリキのおもちゃが走っているみたいだった。
模様や飾り付けなど様々で、工夫が凝らしてある。
日本の人力車が形を変えて輸入されて、こんなとこ走ってる訳です。
今の部品はインドと中国から入って来てるそうで、「インドや中国でもリキシャっていうのかな?」ってガイドのセデックさんに聞いたら、自信満々「そうですよ」って。
そして、この街の様子はインドのカルカッタと全く同じなんだって。
リキシャの運転手さんは、農村から出てきてスラムに住んでいる人が多い。
250タカ(130円くらい)の稼ぎの中から、親方に100タカ払って、残りは150タカ(78円くらい)。
とても暮らしてはいけない。
奥さんもメイドとして働いていたり、面倒みて貰えない子供が道で暮らしてたり、暮らしぶりは厳しいそうです。
ホテルにチェックインした後、ストリート・チルドレンのために家を設立して、保護や世話と学校を運営しているNGO「オボラジェ・バングラデシュ」へ向かう。
ここは海外の資本から独立して、現地スタッフだけで運営されている。
代表のセリムさんが迎えてくれた。
バングラデシュはイスラムの国なので(じゃなくてもそうかな)、男の子の部屋と女の子の部屋が分かれている。
着いた時は子供の笑い声が聞こえて来て、ちょっとほっとした。
みんなで、おはじきみたいなゲームをして遊んでいた。
その部屋は、夜に男の子達が床にそのまま寝る部屋になる。冬以外は布団無し。
縫製の様子
仕切の付いた奥の部屋では、女の子達が縫製の練習をしていた。
手に職を付けるために、小学校低学年くらいの子達も裁断やミシンの練習中。
紙でショッピングバッグを作っている子達も居た。
バングラデシュでは、レジ袋は排水溝に詰まるから使われないようになり、この手作り紙袋や、網のネット袋が使われている。
代表のセリムさんによると、「子供達が道に出るのはお金を稼ぐため。だったら、ここで仕事をすれば良いって、紙袋を作らせているんだ。」そうです。
このセンターに来るかどうかは、子供達の自由意志なんだけど、道で暮らす自由を望み、それを選ぶ子の方が多いらしい。
「どうして??」って思うけど、「ルールに従う方がいやだ!」という子供も居るんですね・・・。
NGO「オボラジェ・バングラデシュ」のアラウディーンくん(7歳)と、仲良しのラッセルくん(8歳)の話。
「友だちのところに遊びに行って、2日して家に帰ったら誰もいなかった。親はその間に引っ越しちゃったらしい。それからバス停で暮らしてた・・・。」ってラッセルくん。
ラッセルくんが居たバスの停留所で、ストリート・チルドレンのための青空学校が行われると聞き、見学に行った。
道で暮らしていたけど、今はNGOのセンターに住んで小学校にも行っている子や、スラムに住んで、働きながら小学校には行かず、この学校にだけ来ている子や、小学校にも通わず道で寝泊まりしてる子などいろいろ。中には赤ちゃんを連れて来ている子供も。
スラムに住んでいる子も、毎日帰るわけでは無くて、時々帰るって感じらしい。
両親は、自分達が生きるだけで精一杯で、子供の世話する余裕が無くてほったらかし。
子供達は自立せざるをえない。子供に物乞いさせる親も多い。
そういう親にとっては、子供は大事な収入源だから、学校に行かせるなんて考えてもいない。
信号待ちの時、「お金を恵んで」という人がやってくる。
イスラムでは「喜捨(きしゃ)」という教えがあるから、お金をあげる人が多くて、黙って手を出すだけでお金が貰える街だから、ダッカに人が集まって来るんだって。
みんなへ勉強好き?って聞いたら、「イエ〜イ!」って元気よかった。
「道で寝てる人?」って
聞いて手を挙げた子達。
道で寝てる子と小学校に通っている子達、あきらかに違う。
バス停で寝てるノズルくん(12歳・左端で切れちゃってる子)。
ゴミを拾い売って生活している。
そのお金で今日は映画を観に行く。
「シャワー浴びないの?」て聞いたら、「今日は一週間ぶりに、身体洗うことにするよ!」って。
NGOのセンターには、子供達各自のロッカーがあって、持ち物を保管出来るんだけど、「道の子達はどうしているのかな?」と聞くと、「稼いだお金はその日に全部使うし、服は着ている1枚だけ、だから何も無いんだよ。」と言うことでした。
最後にみんなで歌ってくれたのは、なんと「♪大きな栗の木の下で」。
・・・感激・・・。
以前居た日本人に教えて貰ったんだって。
歌の指導をしている15歳の女の子(名前を聞くの忘れちゃった)は、元ストリート・チルドレンで、今はセンターのスタッフとして働いている。
親が離婚して再婚して、子供が多く育てられないからって、7歳の時に家を出て来たらしい。
「はじめて道で寝るとき怖く無かった?」って聞いたら、「すごく怖かった!」って・・・。
そりゃそうだよね・・・。
そんな小さな子が怖くない訳が無い。
「一体みんな、心の中にどんな傷を抱えているんだろう?」って、その深さを思うとたまらなかった。
ぶたれたり、いじめられたり・・・。
物を盗ったって、濡れ衣着せられて刑務所に入れられた事もあるんだって。
道で暮らす女の子達は、家庭での身体的、性的虐待から逃げて来た子が多く、道でもまたその危険にさらされる事になる。
ダッカ市内のストリート・チルドレンは、1年で倍になり、今は60万人居るそうで、ますます貧しくなっている人が増えている。
でも一方で、町は発展しているから、やっぱり格差が広がっているって事でしょうか。
みんなとバイバイして、デズガ・ボスティへ。
ボスティはベンガル語でスラムのこと。
「バングラデシュには、スラムがメニーメニー」って運転手のアミルくん。
ここは、線路を隔てた反対側にバシャール(市場)があって、線路沿いにもたくさん人が住んでいる。
市場で野菜を買って、それを家々に売り歩く人が多いんだって。
カメラが使えなくなっちゃって、携帯のカメラで撮った写真、分かるかな?
スラムのおうち |
食堂・カレーを |
線路沿いに住む人々 |
拾ったゴミを |
撮って撮って |
広いスラムを回り歩くうち暗くなっちゃった。
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