ハムチャディ村の子供達
ダッカを抜けて、17世紀までの首都「ショナルガン」へ。
「農村の人々の暮らしぶりも見たい」って連れて行って貰ったのは、ハムチャディ村。
ジャガイモ、小麦粉、トウモロコシ、お米の畑が広がるのどかな風景。
小学校のスポーツ大会が行われていて、ちょっと見に行ったら、あっという間に子供達が「わ〜っ」と集まって来た。
ちょっと離れた所では、村の裁判が行われていて、村長さんが裁判官、村の人達が陪審員となって、離婚問題の夫婦を囲んだ話し合いが行われていた。
青空裁判所。
当人にとっては深刻な問題なんだろうけど、なんだかすごくのどかだった。
ここで11歳のリピーちゃんのおうちにお邪魔させて貰った。
将来は先生に成りたいんだって。
でもガイドのセデックさんによると、「まだまだ農村では、娘が15歳になったら結婚させる親が多くて、難しいでしょう」って。(法律では18歳からなのに、ですよ)
壁はトタンを張り付けたもの。
窓は無いけど、穴がいっぱい。
部屋は二つ、ベッドは一つ。
そのベッドに、夫婦と5歳の子供で寝てる。
井戸とトイレ |
台所 |
リピーちゃん家族 |
下に川が流れていて、この前の洪水のときは、その川の水位が上がって、ヒザまで水に浸かったため家が使えなくなった。
井戸とトイレが隣あわせ。
シャワーっていうか、水浴びも外。台所も外。雨の時だけ家の中で料理する。
ニワトリもヤギも一緒に住んでいて、そこらじゅう行ったり来たり。
「台所の壁の模様なに?」って聞いたら、牛の糞を丸めて乾かしてた跡なんだって。
雨季は木が水に浸かって使えなくなるから、その間の燃料にする。
池にたくさん咲いている、ホテイアオイの花・・・。
その草をたくさん採ってきて、牛が葉を食べた後は、乾かして燃料にする。
日本の江戸時代に、タイム・スリップした気がした。
リサイクル社会が目指すのって、こういう生活なんじゃないかなあ。
清潔で洗練された暮らしに慣れた私達には、今更このスタイルで暮らすって難しいかも知れないけど、そこは技術とコラボして、いい形が生まれたら良いですね。
バングラデシュの洪水というのは、鉄砲水のように激しいものでは無くて、大雨で水位が少しずつ上がって、長い間水浸しになる状態だそうです。
ずっと水に浸かることで、畑の作物がダメになってしまったり、家に住めなくなったり、トイレの汚物が井戸の水と混ざってしまうことで、 飲み水が無くなったり、感染症が広がる心配もある。
「洪水はインドのせいだ!」ってガイドのセデックさんが言うのでギョッとした。
インドとの国境の川に水門があって、水かさが増えた時に、その水門を開けると洪水になるのが分かってて開けるんだって。
「なんで?」って思うでしょ?
それは、インドも洪水になってるから、仕方なく開けるそうです・・・。
バングラデシュは、国土の大部分が海面ギリギリの高さにあるので、以前から大雨が降った時には洪水が起きていたけど、今は、ヒマラヤ山脈・エベレストの氷河が溶け、その下の氷河湖が溢れて起こる大洪水が心配されています。
水は、ネパールの方からガンジス川に流れ込み、バングラデシュはその下流にあります。
氷河はこれまで、少しずつ溶けて川を流れ、周辺の土地を潤してたけど、全部溶けて無くなったら、将来は流れてくるお水も無くなってしまいます。
洪水の後に来る水不足と干ばつ、それによる食料不足が心配です。
バングラデシュの貧しい人達は、今でも災害続きで、お米の値段が上がって大変なのに・・・。
ダッカに戻り、JICAが運営するゴミ捨て場に行く。
市内を走っていると、いきなり道にゴミを投げ捨てる人がいて、びっくりすることがある。
生ゴミじゃなくてダンボールとかだけど・・・。
「今は収集日を決めて収集されるので、大夫減ったんですけどね。」とガイドのセデックさん。
でもダンボールなんかは、その辺の人達が拾いに来て、すぐに無くなってしまうみたい。
一面のゴミ。すごい臭い。
ここの人達は慣れているみたいだけど、「オエッ」となりそう。
ハエもすごくて、口を開けていると入ってくる。
ゴミを拾う子供達。
学校には行ってない。誰一人として。
足はゴミの泥だらけ。
靴を履いていない子が居て、足が切れていた。
うちの子の運動靴、小さくなって履けないやつ持って来たら良かったな・・・。
JICAが運営するゴミ捨て場 |
ゴミ捨て場の子供達 |
この後、現地でストリート・チルドレンのために活動している日本のNGO「エクマットラ」を訪問。
代表の渡辺さんに、ナゾだった細かい事情など質問責めにして、詳しく教えて頂いた。
現場で働くNGOの方々の活動には、本当に頭が下がります。
ボラ・ボスティ(スラム)へ。
ボラ村から出て来た人達で作られたスラム。
川の流れで侵食されて、家が無くなっちゃったそうです。
モタレブさん38歳。
36年ここに住んでいるだって。
ここで育って、ここで結婚して、子供も育ててる。
洪水でダメになった家を修復中。
ダンボールと竹で、壁を作っている。
洪水の時には、上の橋まで水が来て、引くまで、もっと上のほうに避難しなくてはならなかった。
このスラムは、うなぎの寝床のすきまに道があって、水のホースだらけ、ゴミだらけ水浸し、すごい。
井戸とトイレは共同。
水道が使えるところもある。(モタレブさんは水道代を市に月100タカ払っている。)
「トイレの汚物はどこに行くの?」って聞いたら、「下の川だよ!」って。
やっぱり、洪水になると汚いお水も井戸も混ざっちゃうんですよね・・・。
モタレブさんの息子二人は小学校に通っている。
上の娘は12歳までしか学校に行けなかった。
今は15歳で縫製工場で働いている。
もちろんニワトリもヤギも一緒。
モタレブさんと子供達 |
このスラムの地面はゴミだらけで |
レンガを砕いて売る仕事をする |
ミルプールの聖者廟へ。
ここでは、毎日お昼の12時に炊き出しがあって、キチュリと呼ばれるお豆や野菜が入った炊き込みご飯が配られる。
そこで寝泊りする人も多く、物乞いの人達が寝ていた。
私の横顔を、じいっと見ながら付いてくる子が居て、話しかけたら、みんな集まって来ちゃった。
人数が半端じゃなくて(200人くらいに取り囲まれた気分)、何ごとかと警官がやって来た。
その子(名前聞くのまた忘れちゃった)は、14歳の男の子で、服が濡れていた。
モスクの沐浴場で身体を洗ったんだけど、服がこれしか無いから、濡れたまま着て自然に乾かしているんだって。
両親はディスナプールという町に住んでて、お母さんはメイド、お父さんはリキシャの運転手をしている。
12歳の時に出て来て、それから会っていない。
学校に行ったこと無くて、食事は1日1食、ここの炊き出しで貰った炊き込みご飯を食べるだけ。
物乞いで貰ったお金で、ポップコーンやキャンディーを買う事もある。
この場所に寝ている子供達は、たくさん居るように見えた。
ほとんどが裸で裸足。
小さい子達が私の手を握って来たので握手したら、みんなとすることになった。
この子達どうなるのかなあ・・・?
でも、小さな子供達には生きていく本能が備わっているみたい。
「あの14歳の男の子は、自分は何のために生まれて来たんだろうとか、考えないのかな?」ってガイドのセデックさんに聞いたら、「そのうち考えるでしょ」って。
だとしたら、いつ、どんな切っ掛けで考えるようになるんだろう。
この生活を繰り返す中で、そんな日が来るのかしら?
炊き出しのご飯を食べる人達 |
なんだなんだと集まって来た |
子供達に「NGOのセンターに行こうと思わないの?」って聞いたら答えず、警官が「連れてっても戻ってくるよ」って。
「自由が好きだから、そう言うところは合わないのさ!」って言った。
小さい子達にあげるキャンディーを持っていたんだけど、「人が多すぎて危ないからダメ!」ってガイドのセデックさんに止められた。
美味しく見えるように
赤い光のたまねぎ売り場
ランチの後、カロワンバシャールへ。
昨日行ったテズガ・スラムの反対側。
スラムの人達もたくさん働きに来ている。
荷物運び仕事をするために、トラックが入ってくるのを地べたで寝て待つ人達が居た。
子供達は落ちた野菜を拾っている。
1キロになったら市場の端で売るんだって。
ガイドのセデックさんが、自分ちの買い物するのに人夫さんを頼んだら、買った野菜(ジャガイモいっぱいで重そうだった)を全部かごに入れて、頭に乗せて運んでた。
最後に10タカ渡したら、「もっと寄こせ!」って言われたんだって。
安い気がするけど、「そんなもんですよ。」ってガイドのセデックさん。
セダックさんの奥さんは買い物しないそうです。
拾った野菜を見せてくれた
ジュエルくん(右)
ジュエルくん9歳。
両親はスラムに住んでる。
ジュエルくんは家に帰る日もあれば、帰らない日もある。
ご飯を食べるのは1日2回。
子供達はパンを買ったり、屋台でご飯とおかずのセット(カレー)を、10タカ(5円くらい)ほどで買ったりして食べているらしい。
ジュエルくんに、「屋台のサツマ揚げみたいなやつ食べる?」って聞いたらうなずいたので、ガイドのセデックさんが、5タカで買ってあげた。
ずいぶんハードな1日だった。
スラムの人達の話を聞くと、体力が消耗する。
自分が望んでここまで来たわけだし、出来るだけたくさんの人の話を聞きたいと思ってるけど、帰り道は口も聞けなかった。
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